別府中学校 武道場
稽古日 稽古時間 対象
水曜日 19:00 ~ 19:50 年少部・一般部
20:00 ~ 21:00 一般部
土曜日 19:00 ~ 19:50 年少部・一般部
20:00 ~ 21:00 一般部


2012年04月26日

合気道の起点

 「合気道は大東流合気柔術に端を発し・・・」

これはよく耳スピーカーにする話ですね。

大東流合気柔術とは、八幡太郎義家(源義家)の弟である新羅三郎義光(源義光)が創始し、
甲斐武田氏を経て会津藩主・保科氏(会津松平氏)や、
甲斐武田氏の末裔を称する会津坂下の武田氏に引き継がれ、
御式内として会津藩の上級武士にのみ極秘裏に教授されていたとされます。
後に、保科頼母(西郷頼母)が会津武田氏の武術家・武田惣角に伝承し、
世に広められてゆきます。

開祖は、大正4年(1915)に北海道の地で、初めて武田惣角に出会っています。
武術家として最盛期の惣角の技に魅了された開祖は、
惣角の門人となり、約5年間に渡り熱心に修行します。開祖は武田惣角の高弟の一人でした星

のちに開祖が移り住んだ京都・綾部に惣角が6ヶ月間滞在したとき、「教授代理」を授与され、
さらに時を経て、当時、 大東流の最高の免許証であった解釈総伝証を授かっています拍手
歴史資料によれば、
開祖は、およそ20年間にわたり大東流を稽古していたことになるとも言われていますオドロキ

このような経緯から、大東流は合気道の源流であると言われてきました。

ところが、『合気道開祖 植芝盛平伝』という書籍には、
ある新聞記者が開祖に取材を行ったときの会話が紹介されています。

 記者:「大東流を習っているときに、合気道を悟られたのですか?」
 開祖:「いえ、武田先生には武道の目を開いていただいたといった方がいいでしょう。」


この記事には、合気道、大東流それぞれの立場で解釈があると思います。
しかし、この短い言葉の中で、開祖は師である武田惣角に敬意をはらいつつ、
はっきりと示されています。

 「大東流と合気道は違う」と。

別の書籍『武産合氣』では、開祖はこのように言われています。

 「このような今日の時代になって、神示によってはじめて現れたのが武産合気である」

開祖が目指した合気道の起点は、なんと「神示」だということです。

 「ずーっと以前は、いろいろの人々の熱誠をこめたところの武道をば、
  私も教えを受けたのでありますが、
  昭和15年(1940)12月14日、朝方2時頃に急に妙な状態になりまして、
  禊からあがって、その折りに今まで習っていたところの技は、全部忘れてしまいました。
  あらためて先祖からの技をやらんならんことになりました」
  (『合気神髄』)

大東流合気柔術、合気道、日本にはまだミステリアスなものが残されていますね星空
世界で多くのものがスポーツ化されていくなか、日本は稀有な国なのかもしれません日の出


                          新羅三郎義光


  


Posted by 道場生 at 16:59Comments(0)

2012年04月24日

開祖の遺言

今回は、開祖が残した遺言ともいうべき名言をご紹介したいと思います。

私が、合気道修業者に望むことは、
この世界の有様を、始終良く眺めて、
人の話を良く聴き、良き処を取り入れ、
それを土台にして、自分の門を開くこと。
                  植芝盛平


『自分の門を開く』
これは外に向かうイメージを持った場合、合気道のみならず、自分の可能性の扉を開いてゆく、
そんなふうにも理解できます。

では、内に向かうイメージを持った場合はどうでしょう?
自らの門を開けてその内側に目を向ける。 自己を見つめ直すことでしょうか?
私的には、少し違った印象を受けます。自身の深奥を見るとでもいいましょうか。
開祖の信仰されていた神道系の思想などから推し測ると、

自分は何者か? 何処から来て、何処へゆくのか?

簡単に表現すれば、こんな感じがします。
このような世界観まで含まれるが故に、合気道は単なる「武ではなく、
「武とされるのでしょう。

正解はなんでしょうねぇキョロキョロ
開祖は道標も残してくれています。

無駄に見過ごさないよう、しなければいけない。
山川草木、ひとつとして師とならないものはない。
                       植芝盛平


青空の下入道雲 桜サクラの花を愛でながら空想してみるのも面白いかもしれませんスマイル



  


Posted by 道場生 at 14:47Comments(0)

2012年04月17日

合気道にはルールがない!

和歌山県田辺市立明洋中学校では、武道が必修化になる以前から、
保健体育科に合気道を導入しているそうです。
校区内には、開祖の生家跡もあるとか。同じ「道友」として、嬉しいニュースですねスマイル



さて、いまだに合気道を部活動として行っている中学や高校学校は珍しいですし、
全国的には大学の合気道部が学びの場で行われる合気道としては主流なようです。

世界に目を向けてみますと、最も合気道人口が多い国はフランスだとか。
当然、フランスにおける若者の修行者数は多く、彼等が日本に来ると、
年輩の人が多いので驚くそうですオドロキ
日本固有の武道である合気道の魅力に日本人が気づかず、外国の方がその魅力を理解する。
日本は広告宣伝不足なのでしょうか?

若い人が武道の門をたたく理由、
それは「強くなりたい」であり、「身を護れるように」だと思います。
言い換えれば、実際に使えるということ、実用性への憧れだと思います。

合気道を習っている間には、

「約束稽古だし試合も無くて実戦で使えるのかな?

そんな疑問や不安が浮かぶこともあるでしょう。
そんなこともあり、道場から足が遠のく人も多いのではないでしょうか?

私的な意見で恐縮ですが、
『合気道に試合がない』という表現に、少し違和感を感じています。
確かに、勝敗を決めるようなシステムはありませんが、
自由技などで上手く相手を処理できなかったときは、負けたということなのかな・・・と。
実戦で言えば、死んだということですパーンチ

要は、そんな意識での稽古が出来ているか? ストイックな精神を持ち合わせているか? 
ではないでしょうか。

打撃系パーンチは強いでしょう。
突きもありますし、蹴りも早いです。関節技へ移行することもあります。
しかし、その多くは西洋のスポーツと言う考えの導入により、
ルールを設けて試合が行われるようになりました。
西洋のゲーム性を楽しむ要素も加わったと思います。
今の一般的な柔道などは、武道の片鱗も無くスポーツとなってしまっています。
しかし、それ故に幅広く世に広まったとも言えます。

一方で、合気道はそのスポーツ化を嫌いました。
前述したように、『試合が無い』という表現よりも、
むしろ『合気道にはルールが無い』と言った方が私にはしっくりときます。

ルールに守られた試合とは異なる危険な状況を想定した稽古も出来得るわけです。
自由技だけでなく、二人掛けをはじめとする多人数掛けでは、
通常の技を施している暇すらありません。
イメージよりも合気道は、本来的に想定されているシーンが厳しい炎のです。

開祖曰く、

 合気道は一瞬触れた時には すでに勝敗決定の時である
                             植芝盛平


  


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2012年04月13日

ターニングポイント!

話は遡ること戦時中の昭和17年。
開祖の元に軍部から次のような申し入れがあったそうです。

「合気道ほど白兵戦に役に立つものはないので、
 全部の武道を廃しても合気道だけを日本中に広める。」


この申し入れに開祖は激怒ムカッしたとか。

「もともと人を切る、人を殺すのは大罪。
 自分は戦争が起こったので、悲しいかなやむを得んでそうやっている。
 それを合気道は人を殺すのに一番いいからなんてとんでもない。
 ワシは合気道はやめた!


この一件以降、活動を本格的に再開する昭和24年頃まで、
岩間で隠遁生活双葉を送ることになります。

岩間に隠遁中の昭和20年2月、雑誌社が開祖にインタビューした内容が残されています。
そのなかで開祖は、

「ワシは二度と武道は教えんつもりじゃった」
「今までの武道をやめて、それで新しい武道をはじめると言うこととなった。
 どうしてかというと、合気道は、武道の頂点まで行ってしまったのです。
 頂点まで行ってしまったら使わなくなる。科学でも同じでしょう。
 科学は、まだ頂点までいってないものだから、原爆やらつかって戦争やっている。
 地球そのものが壊れてしまうようなものができたら、
 つまり科学が頂点まで行ったら使わないよ・・・」


合気道にとって、とても大きなターニングポイントとなった時代のお話です。

 人を殺すための術としての合気道から、人を生かすための合気道へ

この後、昭和25年頃から、全国の道場を開祖自らが訪れ指導を行うようになったといいますスマイル



         綾部市にある記念碑  


Posted by 道場生 at 15:35Comments(0)

2012年04月06日

開祖 ゆかりの地紀行 ~兵庫県朝来市和田山町竹田~

『竹田城跡』お城は、秋から冬にかけた晴天の早朝日の出
川霧が山裾を包み込む幻想的な姿を見せることから【天空の城】の異名を持ち、
現存する山城としては日本最大規模のものです。
別名【虎臥城(とらふすじょう)トラ】とも呼ばれています。
廃城から約400年を経ていますが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、
角川映画「天と地と炎」のロケーションが行われた場所としても有名ですね。

昭和8年~10年の頃、開祖が直接指導する道場がこの地にありました。
大本竹田別院拍手があり、大本の組織として「武道宣揚会」というものがあった関係で、
別院すぐ横の倉が道場として改造され、使用されていました。
その広さは50畳程度であったそうです。
ところが、道場生が増え続けて手狭になったことから、
その隣にあった大きな酒倉を改造して移ったとか。こちらはナント120畳もあったそうですオドロキ

道場生達は、毎日のように『竹田城お城』に駆け上がって足腰を鍛え、
ときには川で禊をすることもあったとか。

大本竹田別院は今も現存していますので、棟続きの倉はまだ見ることが出来るかも知れません。

現地の方の開祖に関するお話が残されています。

「凄かったですよ。
 お弟子の方々が何人かで掛かっていくと、エイッ!、と気合をかける。
 すると、体にも触れていないのに、みんな倒れてしまいました。」


春の行楽サクラついでに、足を運ばれてみてはいかがでしょうかスマイル
車で少し走れば出石です。「出石そば」もいいですねぇ音符


  


Posted by 道場生 at 14:48Comments(0)

2012年04月02日

座り柔道???

4月からの中学校武道必修化を控え、静岡県教育委員会は、
柔道事故が多いことを受け「大外刈りを取り扱わない」、
「投げ技を用いた試合は実施しない」など、計9項目を定め事故防止を図るよう促しています。

ある統計によると、全国の中学・高校では1983~2010年の28年の間に、
柔道事故で114人が死亡しています。
そのうち約65%の74人は、投げ技などによる頭部外傷が原因でした。
多くの事故が起きてやっと、
毎年柔道が『こんにゃくゼリー』より多くの人間を殺していることに気づいた訳です。

試合は座った状態で行い、固め技などに限定されます。
しかし、『座り柔道』って安全なの?
下半身があまり使えない訳ですから、必然的に上半身の動きが占める割合が高くなります。
手で牽制しながらの激しい袖の取り合いが予想されますが、目でも突かなければいいですが・・・。
そこまでして柔道でなければならない理由は何?

そもそも、柔道ばかりクローズアップされるのはどうしてなのでしょう??
学校によっては柔道部が無いところもあります。
どこかの県で問題となったような、1ヶ月程度講習に行って黒帯を貰った先生に指導されては、
堪ったものではありませんちっ、ちっ、ちっ
体格によっては、柔道を個人的に習っている子供に投げられますよ!多分!

また、剣道と相撲という選択肢もあったと思います。
剣道であれば素振りも良いでしょうOK
体の中心線が意識できます。試合をしなくても、人形相手に打ち込む稽古は出来ます。
相撲であれば四股や股割りなど、柔軟性を向上させるための良いものもあります。
最近の子は体が硬い子が多いですから・・・ガーン

どうでもよいのですが、素朴な疑問。何故、合気道が選択肢に入っていないのか? 
合気会の会員は合気道人口の大半を占め、
日本国内100万人・全世界で160万人とも言われています。
その他にも独自した流派が多く存在しています。
これだけ巨大な組織と多くの道士が居ながら、何故、合気道が選択肢にないのかは不思議です。
比べて柔道人口は、国内よりも海外の方が盛んで、国内は数十万人程度と聞きます。

さらに、合気道には『座り技』というものが確立されています。
足腰の鍛錬になることはもちろん、『立ち技』の基本となるものであることから、
仮に『立ち技』を取り入れなかったとしても、多少の護身には有効かも知れません。

いずれにせよ、武道は体的動作を伴うものではありますが、
精神性が伴うという事も重要な事柄です。
凄い技を持つ人間などいくらでも居ます。体力的に勝る者も・・・。

現代という時代に添った武道教育を通じ、心身共に健全である子供達が育つことを願います。
弱いものをイジメて憂さを晴らすような、本当に弱い人間が消えるようにパーンチ





  


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2012年04月02日

葉問(イップ・マン)

先日、久しぶりにレンタルビデオ屋さんに行きました。
そこで目に留まったのが『葉問(イップ・マン)』!
よくできた作品だと思います。良い意味で遊びが無く、真面目に作られています。
中でも10人相手に試合(というよりも、ほぼ殺し合い)をする場面は見惚れますメロメロ
「構え」の1つが合気道の「構え」にも似ています。

『葉問(イップ・マン)』。
あまり聞き覚えがないかも知れませんが、彼は詠春拳(えいしゅんけん)の大師ですね。
詠春拳は基本的に近接戦闘での打撃を真髄としている武術で、
基本的に重心を後ろ足に多くおき、直線的な手技や低い蹴り技を多用します。

大きく振り回す手技や回し蹴りなどは用いず、相手の両手を封じてしまう技術や、
攻撃をかわしカウンターパンチを入れるなどのテクニックに優れています。
ブルース・リーもこの葉問から学んでおり、その打撃技には詠春拳の要素が垣間見えます。

さて、葉問派の稽古法の1つに「黐手(チーサオ)」と呼ばれるものがあります。
お互いの拳を接触させた状態で攻防を繰り広げるものがあり、
これによって鋭敏な皮膚感覚を養っていくようです。

このトレーニングで大切なことは、
・常に動き続けること!
・そして無駄な力は入れないこと!

う~んキョロキョロ 、どこかで聞いたようなセリフ。
そう、稽古時や審査前にも良く聞きますね。
・止まるな、動き続けろ! 途中でやめるな!
・もっと力を抜いて!

この「黐手(チーサオ)」、
あるレベルに達すると目隠しをしていても相手の動きがわかるとか。
目で追えばその情報が脳に伝達されて処理されるまでにタイムラグが生じます。
ところが皮膚感覚で動けば、思考していないために処理時間を短縮することが出来ます。

考えて稽古して、感覚を研ぎ澄まして白紙の頭で動く

人間は放っておいても歩けるようになります。
ハイハイしている赤ん坊から物に掴まって立ち上がり、
本当はバランスをとることが非常に難しい二足歩行で平気に歩きます。
な~んにも考えていません。そのようにならなければいけないのでしょうね。
稽古しかない! 近道はありません。

最後に、素早い連続打撃で最短距離を打ち抜くスタイルが実戦的で魅力的な詠春拳ですが、
なんと厳詠春という女性が創設したそうです。
詠春拳の動きを見ていると、とても綺麗で優雅なイメージを受けました。
この俳優さん自身も詠春拳を習われているのでしょう。

ふと、以前に聞いたこんな言葉を思い出しました。

「道を究め、精神性が高まった者は、女性的な柔らかさと優雅さを醸すようになる」

実戦的でありながら優雅で美しい。自分の合気道も、いつかはそのようでありたいです。



  


Posted by 道場生 at 11:54Comments(0)