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2012年08月30日
謎
まだまだ暑いですが、お盆休みも終わって、夜には秋の気配を感じるようになりました。
それもそのはず、もうすぐ9月です。9月と言えば、まもなく昇段級審査があります。
受けられる方は審査のための調整、受けられない方も受けられる方の「受け」役として、
それぞれ稽古をされていると思います。
審査に付きまとう座技。基本として、一教~四教まであるわけですが、
子供達の中にはそれなりの級になっているにもかかわらず、
二教や三教が出来ていない人をポツポツ見かけます
今は休まず稽古に来ていますが・・・審査前ですから。日々の稽古が出るのですよ
考えても分からない時は聞くという習慣を持ちましょう
教わる→分からない→考える→聞く。この繰り返しが成長に結びつきます。
実は私も疑問を抱えています。座技一教・表技での身のこなしです。
右相半身の場合、打ってくる相手に対し、右手で手首、左手で肘を制する形になるわけですが、
最初の一歩は左足から進みますよね。これが裏ならば分かるのですが、何故、左足
他の道場や本部の模範を見ても、一教・表(右相半身)の場合、
最初の一歩は右足から出ています。
一教は「上段の崩し」と言われますから、
相手の腕を押し上げる動きに配慮しているのかも知れませんが、
下手をすれば上げるというよりも押してしまいます。最悪の場合、一教どころではありません。
相手が後ろに押されて下がってしまうからです。これでは「突き飛ばし」になってしまいます
正直、表技は難しいです・・・。
本気で正しく正面を打って来られたら、おそらく受けきれません。裏は別ですが。
上段者になるほど、座技一教・表技は裏技っぽくなっているような。気のせいでしょうか
ここに一枚の画像があります。
開祖が正面打ちの技をされているところですが、自ら正面打ちで攻めています。
右半身で最初に出る足は右足です。
更に、開祖のこのような口伝が残っています。
「我より進んで攻撃すること」 by 植芝盛平
ところが、大半の道場では、自ら正面を打つのではなく、
相手が打ってきた正面を捌いて技をかけています。
ひょっとして「正面打ち」と名の付く技は、自分から正面を打って攻撃し、
相手が防御した手を崩しながら技をかけるのでは
そこで少し調べてみました。
戦前の開祖の一教は、表技は自分から攻撃して正面を打ち、
裏技は相手が正面を打ってきたのを捌いて技をかけていたようです。
その後、開祖は岩間で合気道を完成させますが、
この頃に表技も裏技も自分から進んで攻撃するスタイルに修正されています。
「一教が基本」と言われます。正しい一教、見極めないと
それもそのはず、もうすぐ9月です。9月と言えば、まもなく昇段級審査があります。
受けられる方は審査のための調整、受けられない方も受けられる方の「受け」役として、
それぞれ稽古をされていると思います。
審査に付きまとう座技。基本として、一教~四教まであるわけですが、
子供達の中にはそれなりの級になっているにもかかわらず、
二教や三教が出来ていない人をポツポツ見かけます
今は休まず稽古に来ていますが・・・審査前ですから。日々の稽古が出るのですよ
考えても分からない時は聞くという習慣を持ちましょう
教わる→分からない→考える→聞く。この繰り返しが成長に結びつきます。
実は私も疑問を抱えています。座技一教・表技での身のこなしです。
右相半身の場合、打ってくる相手に対し、右手で手首、左手で肘を制する形になるわけですが、
最初の一歩は左足から進みますよね。これが裏ならば分かるのですが、何故、左足
他の道場や本部の模範を見ても、一教・表(右相半身)の場合、
最初の一歩は右足から出ています。
一教は「上段の崩し」と言われますから、
相手の腕を押し上げる動きに配慮しているのかも知れませんが、
下手をすれば上げるというよりも押してしまいます。最悪の場合、一教どころではありません。
相手が後ろに押されて下がってしまうからです。これでは「突き飛ばし」になってしまいます
正直、表技は難しいです・・・。
本気で正しく正面を打って来られたら、おそらく受けきれません。裏は別ですが。
上段者になるほど、座技一教・表技は裏技っぽくなっているような。気のせいでしょうか
ここに一枚の画像があります。
開祖が正面打ちの技をされているところですが、自ら正面打ちで攻めています。
右半身で最初に出る足は右足です。
更に、開祖のこのような口伝が残っています。
「我より進んで攻撃すること」 by 植芝盛平
ところが、大半の道場では、自ら正面を打つのではなく、
相手が打ってきた正面を捌いて技をかけています。
ひょっとして「正面打ち」と名の付く技は、自分から正面を打って攻撃し、
相手が防御した手を崩しながら技をかけるのでは
そこで少し調べてみました。
戦前の開祖の一教は、表技は自分から攻撃して正面を打ち、
裏技は相手が正面を打ってきたのを捌いて技をかけていたようです。
その後、開祖は岩間で合気道を完成させますが、
この頃に表技も裏技も自分から進んで攻撃するスタイルに修正されています。
「一教が基本」と言われます。正しい一教、見極めないと
Posted by 道場生 at
13:33
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2012年08月06日
『合気』
現在の『合気』と呼ばれている技法は、大東流合気柔術の中興の祖である武田惣角によって、
明治時代頃から公開されたと伝えられます。
「体格の良い男が小柄な老人に触れた瞬間投げ飛ばされる」
そんなイメージが一般的なものだと思います。
雑誌などには「神秘の技」とか「幻の神技」など、実に上手い表現で書かれていますね。
科学的にも解明された訳ではありませんから、確かに「神秘の技」ではあります。
実際、『合気』を冠する武術の類は、その流派等によって解釈も様々ですし・・・。
ところでこの『合気』、かからない人も居るといいます。
「バカと赤ん坊にはかからない」
これは数少ない大東流合気柔術の達人の一人である故堀川幸道氏の言葉です。
堀川氏によれば、師匠である武田惣角も同じようなことを言っていたとか。
この言葉から単純に想像すれば、攻める気のない、攻める体勢にない相手には、
かからない(かかりにくい)と言うことなのかも知れません。
まぁ、攻める気のない人にわざわざ『合気』をかける必要もありませんから、
困ることはありませんが・・・。
しかし、幻の神技である『合気』がかからないとは、困りましたねぇ
このような相手にはどうしましょう
正解は、ぶん殴る、です
では、結局のところ、筋肉のたくさん付いた打撃系が最強なのか
もし、筋肉を鍛えて強い打撃が打てる技法が強いのであれば、
均整のとれたボデイビルダーが一番強いことになるかも知れません。
しかし、昔から「達人」と呼ばれている人達は、筋肉がモリモリであるわけではなく、
むしろ見た目は痩せていることが多いです。
しかし、いざ、打撃を打つと内臓に衝撃がいくほどの威力を持っています。
これは『合気』は相手に触れられるだけではなく、自らが触れにいってもかかるということでしょう。
厄介な技法には変わりありませんね。
ただ、打撃にこの技法を用いることができる人は極めて少ないと思いますが・・・。
以前、このブログでは一般的に『合気』と呼ばれるモノと合気道の『合気』は異なると書きましたが、『合気』に関する開祖の言葉が残されています。
「全武道に合気はある、柔道でも剣道でもみな合気を持っとる。
その真髄・核を修業しているのが我々なんだ。だからどんな者が来ても心配はいらん」
これは故養神館館長 塩田剛三氏が開祖を回想した際の言葉です。
「一般的な『合気』と合気道の『合気』は異なる」と聞いて、ガッカリした人も居たかも知れませんが、「全武道が持つ『合気』の真髄を修業している」とは、嬉しくなっちゃいますよね~
開祖、恐るべし
明治時代頃から公開されたと伝えられます。
「体格の良い男が小柄な老人に触れた瞬間投げ飛ばされる」
そんなイメージが一般的なものだと思います。
雑誌などには「神秘の技」とか「幻の神技」など、実に上手い表現で書かれていますね。
科学的にも解明された訳ではありませんから、確かに「神秘の技」ではあります。
実際、『合気』を冠する武術の類は、その流派等によって解釈も様々ですし・・・。
ところでこの『合気』、かからない人も居るといいます。
「バカと赤ん坊にはかからない」
これは数少ない大東流合気柔術の達人の一人である故堀川幸道氏の言葉です。
堀川氏によれば、師匠である武田惣角も同じようなことを言っていたとか。
この言葉から単純に想像すれば、攻める気のない、攻める体勢にない相手には、
かからない(かかりにくい)と言うことなのかも知れません。
まぁ、攻める気のない人にわざわざ『合気』をかける必要もありませんから、
困ることはありませんが・・・。
しかし、幻の神技である『合気』がかからないとは、困りましたねぇ
このような相手にはどうしましょう
正解は、ぶん殴る、です
では、結局のところ、筋肉のたくさん付いた打撃系が最強なのか
もし、筋肉を鍛えて強い打撃が打てる技法が強いのであれば、
均整のとれたボデイビルダーが一番強いことになるかも知れません。
しかし、昔から「達人」と呼ばれている人達は、筋肉がモリモリであるわけではなく、
むしろ見た目は痩せていることが多いです。
しかし、いざ、打撃を打つと内臓に衝撃がいくほどの威力を持っています。
これは『合気』は相手に触れられるだけではなく、自らが触れにいってもかかるということでしょう。
厄介な技法には変わりありませんね。
ただ、打撃にこの技法を用いることができる人は極めて少ないと思いますが・・・。
以前、このブログでは一般的に『合気』と呼ばれるモノと合気道の『合気』は異なると書きましたが、『合気』に関する開祖の言葉が残されています。
「全武道に合気はある、柔道でも剣道でもみな合気を持っとる。
その真髄・核を修業しているのが我々なんだ。だからどんな者が来ても心配はいらん」
これは故養神館館長 塩田剛三氏が開祖を回想した際の言葉です。
「一般的な『合気』と合気道の『合気』は異なる」と聞いて、ガッカリした人も居たかも知れませんが、「全武道が持つ『合気』の真髄を修業している」とは、嬉しくなっちゃいますよね~
開祖、恐るべし
Posted by 道場生 at
16:12
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