別府中学校 武道場
稽古日 稽古時間 対象
水曜日 19:00 ~ 19:50 年少部・一般部
20:00 ~ 21:00 一般部
土曜日 19:00 ~ 19:50 年少部・一般部
20:00 ~ 21:00 一般部


2013年07月24日

他流にみる『実戦』への拘り

示現流という古流剣術があります。
その昔、薩摩藩中において、
藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた御留流です。

幕末、新撰組局長・近藤勇をして、
「薩摩者と勝負する時には初太刀を外せ」
と言わしめた流派です。

示現流では、
『一の太刀を疑わず』
『二の太刀要らず』
と云われるのだそうです。

初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける鋭い斬撃が特徴で、
正面から初太刀を受けようとすると、真剣でもへし折られ、
もしくは折られなくとも刀ごと押し込まれて斬られるといいます。
実際、幕末期に示現流と戦った武士の中には、
自分の刀の峰や鍔を頭に食い込ませて絶命した者がいたとか。

この流派の面白いところは、
“生活に根付いた実戦性”を追求しているところです。

一般的には、稽古の際には固有の道着を着用しますが、
示現流では何時でも敵と対峙出来る様、
平服姿でも稽古に参加しても良いとされています。
現代の生活状況に合わせてTシャツとジーンズ姿、
スーツ姿とった服装で稽古に参加することが容認されています。
また、『剣を握れば礼を交わさず』とも言われ、
木刀を持つ者や稽古中の者に対しての欠礼も許されています。

礼の部分はともかくとして、
合気道もたまには私服での稽古も面白いかも知れません。
掴みにくさ、動きにくさ等、経験していても損は無いですから。





  


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2013年07月22日

『表』は「入り身」、『裏』は「転換」

合気道の技は『表』・『裏』で構成されていますが、
日々の稽古の中で、『裏』しかやっていないであろう技があります。
特に合気会系に多く見られると思いますが・・・。

それは「入り身投げ」です。
「入り身」とは自ら前に出ることですから、開くのは「転換」。
よって、普段やっているのは「入り身投げ」ではなく、
「転換投げ」では?

故・斉藤守弘先生によれば、
現在の「入り身投げ」は藤平光一先生がやり始めたものだとか。
海外で多く指導をした彼は、
奥襟を引き付ける方法ではTシャツなど薄着な相手にする際、
無理があると考えたのだろうという事です。
そこで、引き付けるよりは「転換」し、
円運動の作用で崩し投げる形を指導したとか。

ただし、最後まで崩し続ければ問題はないが、
転換する瞬間に相手の体勢が残っていた場合には、
タックルをされる危険があるのだと斉藤先生は言っています。

そして、そもそも「入り身投げ」は、
飛びついてくる相手の首をひねって投げる、
“首投げ”という荒業だったそうです。

  


Posted by 道場生 at 14:38Comments(0)

2013年07月11日

古流剣術 合気剣

ときどき木刀を振るのですが、どのように練習したらいいのか?
そんな疑問が湧きましたキョロキョロ
というのは、なんとなく剣道のように振ってはみるものの、
「合気道と剣道の振りは異なるはず」と思うからです。

御存知のように、戦後、開祖は茨城県岩間に隠棲されますが、
その時に合気道の体術、剣、杖を確立したと言われています。
稽古相手となったのが、
故・斉藤守弘先生であることはよく知られていますね。

開祖は、“常時仕え、泥だらけで田畑の仕事を手伝い、
肩もみをやった者でないと気を許さなかった”とか。
斉藤先生が武器を教えていても何も言わなかったそうですが、
他の者が武器を教えようとすると、
「誰の許しを得てやっている」と怒られたようですフンッ

開祖の死後、
斉藤先生は毎週日曜に合気会本部で武器を指導していましたが、
他の方から中傷されて指導を中止してしまいます。
これは合気道界の多大な損失だったと私的には感じています。

「合気道は剣の理合」というわりには、
剣を用いるのは有段者の審査のときくらいです。
合気道は過去に存在していたものをドンドン捨ててしまいました。
そこまでして、
子供から大人にまで親しまれなくてもいいですけど・・・ガーン

合気道の剣の構えは、足の踵が地面につきます。
前足のつま先はやや外に向き、後ろ足のつま先は横に近い外向き。
現代剣道の構えは、左右両方の足先を正面に向け、
つまさき立ちで踵は地面につけていません。

そういえば、
「合気道を深く知るために居合をやる」という話は聞きますが、
「合気道の上達のために剣道を習う」という話は聞きません。
(もちろん、剣道部出身の方は時々いらっしゃいます。)

何故?
ひょっとしたら、動きがあまりにも違いすぎるからなのでは?
元々は似たものであったバズですが、
競技化されるにつれ、剣道は変わらざるを得なかった。
そして試合をしない合気道は、
『古流剣術』の動きのまま変化しなかった。

早速、斉藤先生のDVDを見てみたいと思います。  


Posted by 道場生 at 16:07Comments(2)

2013年07月04日

隔てるもの

合気道はよく“宗教のようだ”と表現されます。
開祖の肖像画や写真を掲げ、
それらに向かって拝礼するかのような習慣があるからでしょう。
一般的な観点からすれば、そのように見えて当然かもしれません。
開祖の古事記等を引用した様々なお話が残っていることも、
少なからず影響しているのでしょう。

しかし、開祖・植芝盛平は、
変な宗教かぶれのお爺さんであったわけではありません。
彼の生涯や生前を知る方々の談話を載せた書籍がいくつかあります。
それらを読んでみて思うことは、
彼は『迷わず、ブレていない』ということです。

①故郷を離れて上京して起業、文房具卸売業「植芝商会」を設立。
②日露戦争での出征。
③政府に反しての森林保護運動。
④未開拓の地である北海道開拓。
⑤大本に傾倒して京都に移り住み、モンゴルへも渡航。

これらの間に多くの武道を習得されるわけですが、
当時の社会情勢等を考えると普通ではありません。
しかも、大胆な行動の中には、
当時の政府にすら対抗している場面もあります。
あの頃、政府に反対した運動を導先するという行為は、
とても怖いことです。命すら失いかねませんガーン

が、彼は迷いもなくこれらの行動をやってのけます。
おそらく、彼は『自分を信じきっていた』のではないでしょうか?


私達はある意味で開祖を崇拝し、信じています。
しかし、自分自身を信じているでしょうか?
私を含め、多くの人が自分自身を信じられないまま、
事あるごとに不安にかられます。
そして何かあれば、人によっては“神頼み”です。

ちょっと脱線しますが、
神様の視点から考えてみると面白そうなので、想像してみました。

神様:ん? 誰か来たな。どれどれ。
人間:○○が当たりますように。○○が叶いますように。
神様:個人の利益のために都合の良い時だけ、
   小銭を放り込んで呼び出し、願いを叶えてくれか・・・。
人間:よろしくお願いします<(_ _)>
神様:神を使役しようとは、不敬である。隠れちゃおっと!


開祖は次のような言葉を残されています。

『ぢぃはここまでやった、あとはみんながやることじゃ』
                     by 植芝盛平


どのような武道においても、
カリスマ的な指導者の技に憧れ、これを目標とします。
しかし、自分以外のモノへの依存という崇拝は、
実は自分の進化の障害となるのではないか?
開祖の生き方を見ていると、そんな気もして来ます。
開祖にしても、いつかはこの世を去る普通の人間でした。
私達も同じです。

はて、植芝盛平という一人の人間と、
同じくただの人間である私達の間にある決定的な違いとは、
一体何なのでしょう?
みなさんは、どう考えられますか?  


Posted by 道場生 at 11:59Comments(2)