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2014年04月18日
合気道の戦闘理論
合気道には試合がありません。
したがって、現代ではある意味で異彩を放っていると言えます。
そして今思うのは、
弐段から徐々に合気道本来の修練が始まるのだなということです。
それは武器を奪う術、
そして多人数を相手にして戦う術が含まれるということです。
初期の合気道には、
総合格闘技のような技が多く含まれていたと聞きます。
ですが、今はそのような技は見られません。
蹴りはバランスを崩しやすいから無くなった。確かにその通りです。
しかし、弐段で学ぶべき内容を考えてゆくと、
蹴り技や寝技が減少してゆくことが自然であることを再認識します。
多人数を想定すれば、それが普通です。
一般の方からすれば、
受けが勝手に飛んでいるように見える多人数を相手にした動き。
実はその中に合気道の戦闘理論が存在します。
合気道を学ぶ者としてはその辺りを意識して、
受けが勝手に飛んでいるような状態は避けたいものです。
大変むつかしいことですが、自分のために難しいことをしたいですね。
初段はほんの基本を終えただけ。
弐段からが合気道1年生の始まりです。
したがって、現代ではある意味で異彩を放っていると言えます。
そして今思うのは、
弐段から徐々に合気道本来の修練が始まるのだなということです。
それは武器を奪う術、
そして多人数を相手にして戦う術が含まれるということです。
初期の合気道には、
総合格闘技のような技が多く含まれていたと聞きます。
ですが、今はそのような技は見られません。
蹴りはバランスを崩しやすいから無くなった。確かにその通りです。
しかし、弐段で学ぶべき内容を考えてゆくと、
蹴り技や寝技が減少してゆくことが自然であることを再認識します。
多人数を想定すれば、それが普通です。
一般の方からすれば、
受けが勝手に飛んでいるように見える多人数を相手にした動き。
実はその中に合気道の戦闘理論が存在します。
合気道を学ぶ者としてはその辺りを意識して、
受けが勝手に飛んでいるような状態は避けたいものです。
大変むつかしいことですが、自分のために難しいことをしたいですね。
初段はほんの基本を終えただけ。
弐段からが合気道1年生の始まりです。
Posted by 道場生 at 00:31│Comments(2)
この記事へのコメント
先日、孫が空手教室なるものに入会しました。あれほど合気道を推奨したのにもかかわらず、腹がたって何日間かは会話もしませんでした。
どうやら、空手指導者から合気道なんて実戦には何の役にもたたないから、やるだけ無駄とか聞いたようです。
その、空手教室の開催日に出かけていって、師範とか言われる40代の人を、稽古後近くの喫茶店に連れていき、その真意
をただしました。
はじめは、のらりくらりと一般論だとか、言ってましたが、あんたじゃ話にならんから、流派の最高責任者に直接言うから帰っていいと言うと、神妙な顔で謝りはじめたではないですか。
武道指導者と言うより、人間性が問題ですね。ケンカが強くなりたいだろうって子供に言う指導者はゴロツキと同じです。
もちろん、孫は辞めさせました。
どうやら、空手指導者から合気道なんて実戦には何の役にもたたないから、やるだけ無駄とか聞いたようです。
その、空手教室の開催日に出かけていって、師範とか言われる40代の人を、稽古後近くの喫茶店に連れていき、その真意
をただしました。
はじめは、のらりくらりと一般論だとか、言ってましたが、あんたじゃ話にならんから、流派の最高責任者に直接言うから帰っていいと言うと、神妙な顔で謝りはじめたではないですか。
武道指導者と言うより、人間性が問題ですね。ケンカが強くなりたいだろうって子供に言う指導者はゴロツキと同じです。
もちろん、孫は辞めさせました。
Posted by 姫路の高齢者 at 2014年09月05日 15:29
いつもブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
空手教室ですかぁ。合気道よりは選ぶ人が多いのでしょうね(苦笑)
まぁ、イメージが先行しますから仕方ないかもしれません。
ただ、空手教室の指導者の方は合気道を御存じない訳ですから、
生徒集めの為に空手最強論を持ち出すのは大人気ない気はします。
合気道を修練する者としては、
他の武道の方からそのように思われていることは百も承知です。
しかし、武道とはケンカに勝つ技を学ぶものではないでしょう。
その指導者は「実戦」と言われたようですが、何をもって実戦なのでしょう?
ケンカのことでしょうか?
子供のケンカ程度なら、受けることさえ出来ればいいです。
殴ろうとしても、蹴ろうとしても当たらなければいずれ諦めます。
私のような者が言うのも何ですが、武道というひとつの「道」を歩むことは、
死を意識しながら生に感謝できることなのだろうと感じています。
これは現代ではとても難しいことです。
当たり前に感じていることを当たり前ではなかったと、
心底確信することでもありますから。
頭でわかっても心底納得できるのは稀でしょう。
即座にあっさりと死を決断できる。
それは仕方がないと前向きに諦めることでもあります。
そのような人間はとても恐ろしいです。
それが昔の武士であり、
過去の戦争で諸外国の兵を怖れさせた根源だと思います。
そんな覚悟ができた現代の武士ともいえる指導者であれば、
空手であろうとなかろうと、師事させてもいいですね。
しかし、よく説教をされましたねぇ~。なかなか貴重なお方です。
でも、その指導者のような人間が増えている現実があります。
ケンカに勝っても加害者となってしまうと話しは変わってきます。
手を出すということのリスクも含め、道徳教育をしないといけませんね。
私達は、誰が見ても「これは凄い」と感心させることは、
お恥ずかしいことですがなかなか出来ませんが、
武道の世界に身を置く者として、心してかからなければと思います。
あっ、お孫さんとは仲良くされてくださいね。
空手教室ですかぁ。合気道よりは選ぶ人が多いのでしょうね(苦笑)
まぁ、イメージが先行しますから仕方ないかもしれません。
ただ、空手教室の指導者の方は合気道を御存じない訳ですから、
生徒集めの為に空手最強論を持ち出すのは大人気ない気はします。
合気道を修練する者としては、
他の武道の方からそのように思われていることは百も承知です。
しかし、武道とはケンカに勝つ技を学ぶものではないでしょう。
その指導者は「実戦」と言われたようですが、何をもって実戦なのでしょう?
ケンカのことでしょうか?
子供のケンカ程度なら、受けることさえ出来ればいいです。
殴ろうとしても、蹴ろうとしても当たらなければいずれ諦めます。
私のような者が言うのも何ですが、武道というひとつの「道」を歩むことは、
死を意識しながら生に感謝できることなのだろうと感じています。
これは現代ではとても難しいことです。
当たり前に感じていることを当たり前ではなかったと、
心底確信することでもありますから。
頭でわかっても心底納得できるのは稀でしょう。
即座にあっさりと死を決断できる。
それは仕方がないと前向きに諦めることでもあります。
そのような人間はとても恐ろしいです。
それが昔の武士であり、
過去の戦争で諸外国の兵を怖れさせた根源だと思います。
そんな覚悟ができた現代の武士ともいえる指導者であれば、
空手であろうとなかろうと、師事させてもいいですね。
しかし、よく説教をされましたねぇ~。なかなか貴重なお方です。
でも、その指導者のような人間が増えている現実があります。
ケンカに勝っても加害者となってしまうと話しは変わってきます。
手を出すということのリスクも含め、道徳教育をしないといけませんね。
私達は、誰が見ても「これは凄い」と感心させることは、
お恥ずかしいことですがなかなか出来ませんが、
武道の世界に身を置く者として、心してかからなければと思います。
あっ、お孫さんとは仲良くされてくださいね。
Posted by 加古川道場 at 2014年09月05日 19:29