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2012年09月07日
合気道の復権
今回の記事は「受け」というキーワードから、合気道を見ていきたいと思います。
これは『受け身』を意味するのではなく、「受け」を担当する人を指しています。
「受け」の人は、通常、打つ、掴む、突くといった攻撃をします。
特に高校生くらいまでの人に言えることですが、まったく攻撃になっていません
正面打ちにしても、フワぁ~っとゆっくり打ち込み、突きは走りながら手を軽く出し、
ニコニコとやって来る・・・オイオイ
集中力ゼロ・・・。
正直、これが仕手側にも影響を及ぼします。
当たっても痛くも痒くもないので、とにかく入り身で避けようとか、
捌こうという自己防衛的な意識が薄れ、実践的な感覚が失われます。
また、弱い攻撃であるうえに当身が欠如していることから、
「受け(攻撃者)」を崩さないまま技を掛けるという内容になってしまいます。
このような稽古では、だらだらとした不正確な投げや押さえとなり、
結果、仕手側は技を極めるために力を利用することになります。
そして、結局、力の強い者には勝てないという解釈や、
自分の技が上手くなったから実践で役に立つという幻想を抱きます。
開祖が合気道を完成させた茨城県岩間(現在は笠間市)。
ここに開祖に入門し以来、23年間仕え、
開祖が伝えた合気道を忠実に守ろうとする一人の合気道家が居ました。
故斉藤守弘師範(9段位)です。
開祖と斉藤師範

斉藤師範の亡き後、紆余曲折を経て現在はご子息である斉藤仁弘先生が、『岩間神信合氣修練会』を設立し、その心技の継承に努力されています。
通称『岩間スタイル』と称されたその型には、多くの当身と気合が含まれています。
開祖の晩年のフィルムでも、柔らかな動きの合気道に進化してはいるものの、
当身と気合がきちんと入れられているのがわかります。
現在、標準型として考えられている型は、実は開祖が岩間で合気道を完成される以前のもの。
つまり、最新の型は、岩間において繰り広げられたものがそれ。
どちらが良い悪いではなく、広い視野で見極めて行きたいですね。
また、武道という枠組みを維持できなかった他の武道からの合気道に対する批判。
私達の手で、少しでも武道・合気道の復権を試みたいものです。
開祖と斉藤師範の技(同じ動きですね)
これは『受け身』を意味するのではなく、「受け」を担当する人を指しています。
「受け」の人は、通常、打つ、掴む、突くといった攻撃をします。
特に高校生くらいまでの人に言えることですが、まったく攻撃になっていません

正面打ちにしても、フワぁ~っとゆっくり打ち込み、突きは走りながら手を軽く出し、
ニコニコとやって来る・・・オイオイ

正直、これが仕手側にも影響を及ぼします。
当たっても痛くも痒くもないので、とにかく入り身で避けようとか、
捌こうという自己防衛的な意識が薄れ、実践的な感覚が失われます。
また、弱い攻撃であるうえに当身が欠如していることから、
「受け(攻撃者)」を崩さないまま技を掛けるという内容になってしまいます。
このような稽古では、だらだらとした不正確な投げや押さえとなり、
結果、仕手側は技を極めるために力を利用することになります。
そして、結局、力の強い者には勝てないという解釈や、
自分の技が上手くなったから実践で役に立つという幻想を抱きます。
開祖が合気道を完成させた茨城県岩間(現在は笠間市)。
ここに開祖に入門し以来、23年間仕え、
開祖が伝えた合気道を忠実に守ろうとする一人の合気道家が居ました。
故斉藤守弘師範(9段位)です。
開祖と斉藤師範

斉藤師範の亡き後、紆余曲折を経て現在はご子息である斉藤仁弘先生が、『岩間神信合氣修練会』を設立し、その心技の継承に努力されています。
通称『岩間スタイル』と称されたその型には、多くの当身と気合が含まれています。
開祖の晩年のフィルムでも、柔らかな動きの合気道に進化してはいるものの、
当身と気合がきちんと入れられているのがわかります。
現在、標準型として考えられている型は、実は開祖が岩間で合気道を完成される以前のもの。
つまり、最新の型は、岩間において繰り広げられたものがそれ。
どちらが良い悪いではなく、広い視野で見極めて行きたいですね。
また、武道という枠組みを維持できなかった他の武道からの合気道に対する批判。
私達の手で、少しでも武道・合気道の復権を試みたいものです。
開祖と斉藤師範の技(同じ動きですね)

Posted by 道場生 at
14:39
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