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2013年03月18日
審査を終えて
昇段昇級審査が終わりましたね。
5級以上の審査を受けた少年少女及び成人の皆さん、お疲れ様でした
成人の審査の際には、その段階によっては普段一緒に稽古していない方々が受け手となり、
次々にかかって来ます。
体格の違いはもちろんのこと、手の握り方や力の強弱、重心、迫ってくるスピードも異なります。
正直、本気モードで打ち、突いてくれない場合はとてもやりずらいものです。
重心を保ち安定した体勢でかかって来られると、崩すのもなかなか難しく、
自らの課題を浮き彫りにされる良い機会となりました。
しかし、それでも合気道の場合、受け手はずっと“やられっ放し”で居てくれます。
型稽古の範疇ですから当たり前なのかも知れませんが、
それでは武道というスタイルを維持している立場からは少し物足りなさを感じてしまいます。
いざという時、役に立つのかな
と危惧する訳です。
ご存知のように、合気道は護身術として警察にも採用されています。
なのに危険に遭遇した際に役立たないのでは困ります。
以前は技を掛け合う時、
受け手は出来るだけ抵抗するのが効果的な稽古方法と考えられていました。
良い意味で鍛えるためにも技が効果的に掛けられておらず、
効いていなければ受けを取らなかったのです。
そうする方が指導という立場からは“優しい”と信じられていました。
そもそも「腕を握る人など居るのか
」という論議もありますが、
突きや胸捕りなどは、日常においてもあり得る攻防のスタイルではあります。
やはり実際に役立つ稽古をする方がやり甲斐はあるはずで、
漫然と技を掛け合うよりも、時には外したり外されたりして、なぜ効かないかを研究しながら、
自分に合った技の掛け方を探し出すように稽古をしておきたいものです。
同様の技でも相手が違えば、同じ手法が当てはまるはずもない訳ですから。
そのような稽古をしていれば、
審査の場においてもかなり気持ちに余裕が出てくるものと思います。
故・斉藤守弘先生が教授した“岩間スタイル”では、
相手にしっかりと掴ませた状態から技をかけます。
そのため基本が身についていない者は力ずくで動かざるを得ません。
理合に沿った体の動かし方や体の位置を覚え込ませる訳です。
そして三段になってはじめて、流れるような動きの稽古へと入ります。
開祖も「わしは60年固い稽古して今がある」と、
安易に流れの稽古をすることを諌められたと聞きます。
特に有段者となった人間は、そのような研究を是非ともするべきで、
後進の指導という目的からも、時には固い稽古を試みたほうが良いのではないかと思います。
止まっている相手を動かせるなら、動いている相手を捌くことは容易なはずです。
少なくとも現在よりは・・・。
5級以上の審査を受けた少年少女及び成人の皆さん、お疲れ様でした

成人の審査の際には、その段階によっては普段一緒に稽古していない方々が受け手となり、
次々にかかって来ます。
体格の違いはもちろんのこと、手の握り方や力の強弱、重心、迫ってくるスピードも異なります。
正直、本気モードで打ち、突いてくれない場合はとてもやりずらいものです。
重心を保ち安定した体勢でかかって来られると、崩すのもなかなか難しく、
自らの課題を浮き彫りにされる良い機会となりました。
しかし、それでも合気道の場合、受け手はずっと“やられっ放し”で居てくれます。
型稽古の範疇ですから当たり前なのかも知れませんが、
それでは武道というスタイルを維持している立場からは少し物足りなさを感じてしまいます。
いざという時、役に立つのかな

ご存知のように、合気道は護身術として警察にも採用されています。
なのに危険に遭遇した際に役立たないのでは困ります。
以前は技を掛け合う時、
受け手は出来るだけ抵抗するのが効果的な稽古方法と考えられていました。
良い意味で鍛えるためにも技が効果的に掛けられておらず、
効いていなければ受けを取らなかったのです。
そうする方が指導という立場からは“優しい”と信じられていました。
そもそも「腕を握る人など居るのか

突きや胸捕りなどは、日常においてもあり得る攻防のスタイルではあります。
やはり実際に役立つ稽古をする方がやり甲斐はあるはずで、
漫然と技を掛け合うよりも、時には外したり外されたりして、なぜ効かないかを研究しながら、
自分に合った技の掛け方を探し出すように稽古をしておきたいものです。
同様の技でも相手が違えば、同じ手法が当てはまるはずもない訳ですから。
そのような稽古をしていれば、
審査の場においてもかなり気持ちに余裕が出てくるものと思います。
故・斉藤守弘先生が教授した“岩間スタイル”では、
相手にしっかりと掴ませた状態から技をかけます。
そのため基本が身についていない者は力ずくで動かざるを得ません。
理合に沿った体の動かし方や体の位置を覚え込ませる訳です。
そして三段になってはじめて、流れるような動きの稽古へと入ります。
開祖も「わしは60年固い稽古して今がある」と、
安易に流れの稽古をすることを諌められたと聞きます。
特に有段者となった人間は、そのような研究を是非ともするべきで、
後進の指導という目的からも、時には固い稽古を試みたほうが良いのではないかと思います。
止まっている相手を動かせるなら、動いている相手を捌くことは容易なはずです。
少なくとも現在よりは・・・。
Posted by 道場生 at 10:10│Comments(0)