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2015年09月24日
武器に触れる
恒例の審査が終わりました。
自身が審査を受けない時も、色々と反省点はあるものです。
「見取り稽古」とはよく言ったものだと思います。
今回は、武器に頻繁に触れない状況下において、
審査が近くなった時にだけ武器術を稽古するという傾向は、
武道家の端くれとして如何なものかということでした。
やはり普段から触れておかないと、
いざ審査となっても見劣りのする内容となります。
短刀はもちろん、木剣での素振り、
可能であれば木剣での打ち合い程度は経験しておかないと、
特に太刀取りの感覚などは到底養えないだろうと思います。
審査では、斬りかかる方はかなりの手加減をしています。
本来、武器を持った人間の間合いには、そう容易くは入れません。
日々の稽古の中でも、
届かない攻撃や遅いスピードで日々の稽古を続けていると、
武器術となった際には、
ほとんどが刺されるか斬られた後に動くことになってしまいます。
また、太刀取りにせよ、短刀取りにせよ、
刃の部分を素手で握ってしまう方をちらほら見かけます。
せめて初段以降は、現実的な稽古をしておきたいものです。
私自身を含め、身に迫る危険が発生した時、
自他を守れるかどうか静観してみる必要があるように思います。
自身が審査を受けない時も、色々と反省点はあるものです。
「見取り稽古」とはよく言ったものだと思います。
今回は、武器に頻繁に触れない状況下において、
審査が近くなった時にだけ武器術を稽古するという傾向は、
武道家の端くれとして如何なものかということでした。
やはり普段から触れておかないと、
いざ審査となっても見劣りのする内容となります。
短刀はもちろん、木剣での素振り、
可能であれば木剣での打ち合い程度は経験しておかないと、
特に太刀取りの感覚などは到底養えないだろうと思います。
審査では、斬りかかる方はかなりの手加減をしています。
本来、武器を持った人間の間合いには、そう容易くは入れません。
日々の稽古の中でも、
届かない攻撃や遅いスピードで日々の稽古を続けていると、
武器術となった際には、
ほとんどが刺されるか斬られた後に動くことになってしまいます。
また、太刀取りにせよ、短刀取りにせよ、
刃の部分を素手で握ってしまう方をちらほら見かけます。
せめて初段以降は、現実的な稽古をしておきたいものです。
私自身を含め、身に迫る危険が発生した時、
自他を守れるかどうか静観してみる必要があるように思います。
Posted by 道場生 at 16:31│Comments(4)
この記事へのコメント
以前姫路に住んでいました。現在沖縄在住です。孫が沖縄の大学に春から通っています。どういうわけか一緒に住むことになってしまいました。
今、沖縄空手道場に毎日稽古に通っています。そこで空手と武器(六尺棒、サイ、トンファ、ヌンチャク、鎌、他多数)を習っています。
驚いたのは、武道歴50年、60年の人がゴロゴロいらっしゃる事です。
生涯武道と言う言葉に納得です。
合気道では段位が上がるに連れ指導される機会が少なくなることはありませんか。沖縄では、7段、8段の指導者が10段の人にガンガン怒られて稽古されています。それも毎日です。
稽古には、突き、蹴りの他、投げ、固めなどの関節技も豊富です。武器も徒手対武器、武器対武器などまさに総合武術の稽古です。外人さん特に海外の空手指導者も5人長期滞在されています。
沖縄時間というのでしょうか、やたら稽古時間が長いです。また暑いです。夕方28度で湿度も高いです。
日本のスポーツ空手とは、まったく違います。毎日の生活の中に空手が溶け込んでいて、ご飯を食べるがごとく毎日稽古に通ってくる人を見るとまさにカルチャーショックです。
こんど、沖縄合気会と言うところが県立武道館で稽古しているらしいので見学してきます。
「生涯武道」って言葉好きになりそうです。
ブログ楽しみにしていますので、これからも長く続けていただきたいです。
お願いします。
今、沖縄空手道場に毎日稽古に通っています。そこで空手と武器(六尺棒、サイ、トンファ、ヌンチャク、鎌、他多数)を習っています。
驚いたのは、武道歴50年、60年の人がゴロゴロいらっしゃる事です。
生涯武道と言う言葉に納得です。
合気道では段位が上がるに連れ指導される機会が少なくなることはありませんか。沖縄では、7段、8段の指導者が10段の人にガンガン怒られて稽古されています。それも毎日です。
稽古には、突き、蹴りの他、投げ、固めなどの関節技も豊富です。武器も徒手対武器、武器対武器などまさに総合武術の稽古です。外人さん特に海外の空手指導者も5人長期滞在されています。
沖縄時間というのでしょうか、やたら稽古時間が長いです。また暑いです。夕方28度で湿度も高いです。
日本のスポーツ空手とは、まったく違います。毎日の生活の中に空手が溶け込んでいて、ご飯を食べるがごとく毎日稽古に通ってくる人を見るとまさにカルチャーショックです。
こんど、沖縄合気会と言うところが県立武道館で稽古しているらしいので見学してきます。
「生涯武道」って言葉好きになりそうです。
ブログ楽しみにしていますので、これからも長く続けていただきたいです。
お願いします。
Posted by 那覇市の高齢者 at 2017年05月04日 11:12
那覇市の高齢者様
嬉しいコメントを頂き、誠にありがとうございます。ひょっとして以前にもコメントを頂いたことがあったのではないでしょうか?姫路に住まれていた方が今は沖縄とは・・・。
沖縄空手を習われているとのこと、琉球の奥深さは数年前から注目しております。個人的には突き(当身)とサイが特に気になっています。合気道には元々あった打撃が失われていますから。源流と言われる大東流においても同じです。私は合気道の会には内緒で六法会の岡本正剛氏にも師事していたのですが、あの方が合気系では最後の当身を使える人であったと思います。痛い訳では無く重いのです。弟子方でも出来る人は皆無でしょう。浸透するような当身です。ですがお若い頃の方がより実践的なものであったであろうと思います。
確かに合気道では黒帯になると「個人の想う道をいけ」といったような風潮があり、指導されることはほんの僅かです。逆に下の者を指導する機会が増えて自身の稽古時間は削られます。自身の強い想いによって維持向上しなければ実力は落ちるばかりでしょう。
最近は太刀、杖を頻繁に振るようにしていますが、通常に推薦される太刀や杖は、実際に物を打つに際してはかなり頼りなく、本気で撃ち合えばおそらく折れます。だから斉藤守弘先生がいた岩間では、通常よりも太く重い形状になったのだと思い至りました。本来、合気道は蹴りも突きも関節技もある総合格闘技でした。しかも触れた一瞬、触れられた一瞬を大切にしていました。今の合気道の審査など目を当てられない状況です。受けの攻撃は遅く正確に打っていない。毎回の審査の度に、いい大人がどうしてそうなるのか不思議でなりません。年に一度、東京の国立武道館で行われる全国大会も同様です。
良いですね沖縄は。こちらより沖縄合気会様の方が歴史の影響もあって見ていても面白いかも知れませんね。「生涯武道」、私もそう思っています。それはゴールは無いという武道の深遠さ、武道を追及することで得るおそらく殺傷技術とは異なるものの習得があるのだと今は感じています。セレンディピティです。それは何かを熱心に探しているときに、それとはまったく別の価値あるものを発見したり、それに気付くということです。私的には植芝盛平が常人ではない出来事をやってのけたその根底には、それがあったのだろうと思っています。簡単に言えば悟りでしょうか。悟りが武道にどう影響するのか?それがこの世の不思議かなと思っています。瞑想よ気などに走る者には到達できない世界でしょう。
国家に数ある武術の中から取り立てられながらも和合という道に進んでいった過程には、そのようなことがあったのであろうと考えています。ただ、考えていても私のような凡人には分かりませんから、一つ一つの稽古をこなしていく行くだけです。ブログの更新、なかなか出来ていなくて申し訳ありません。沖縄空手の神髄、いつか教えて頂ける日が来ると嬉しいです。
沖縄には本当のサイを手に入れることが出来る所がありますでしょうか?近頃の際は演武用と称して翼の左右部分を溶接で後付けした物が多いです。古流式では翼の部分は左右一対であり、その中心に穴が開いていて本体に通したのちに溶接する手法手あったはずです。もしご存じであれば情報を教えてください。今後ともよろしくお願い致します。
嬉しいコメントを頂き、誠にありがとうございます。ひょっとして以前にもコメントを頂いたことがあったのではないでしょうか?姫路に住まれていた方が今は沖縄とは・・・。
沖縄空手を習われているとのこと、琉球の奥深さは数年前から注目しております。個人的には突き(当身)とサイが特に気になっています。合気道には元々あった打撃が失われていますから。源流と言われる大東流においても同じです。私は合気道の会には内緒で六法会の岡本正剛氏にも師事していたのですが、あの方が合気系では最後の当身を使える人であったと思います。痛い訳では無く重いのです。弟子方でも出来る人は皆無でしょう。浸透するような当身です。ですがお若い頃の方がより実践的なものであったであろうと思います。
確かに合気道では黒帯になると「個人の想う道をいけ」といったような風潮があり、指導されることはほんの僅かです。逆に下の者を指導する機会が増えて自身の稽古時間は削られます。自身の強い想いによって維持向上しなければ実力は落ちるばかりでしょう。
最近は太刀、杖を頻繁に振るようにしていますが、通常に推薦される太刀や杖は、実際に物を打つに際してはかなり頼りなく、本気で撃ち合えばおそらく折れます。だから斉藤守弘先生がいた岩間では、通常よりも太く重い形状になったのだと思い至りました。本来、合気道は蹴りも突きも関節技もある総合格闘技でした。しかも触れた一瞬、触れられた一瞬を大切にしていました。今の合気道の審査など目を当てられない状況です。受けの攻撃は遅く正確に打っていない。毎回の審査の度に、いい大人がどうしてそうなるのか不思議でなりません。年に一度、東京の国立武道館で行われる全国大会も同様です。
良いですね沖縄は。こちらより沖縄合気会様の方が歴史の影響もあって見ていても面白いかも知れませんね。「生涯武道」、私もそう思っています。それはゴールは無いという武道の深遠さ、武道を追及することで得るおそらく殺傷技術とは異なるものの習得があるのだと今は感じています。セレンディピティです。それは何かを熱心に探しているときに、それとはまったく別の価値あるものを発見したり、それに気付くということです。私的には植芝盛平が常人ではない出来事をやってのけたその根底には、それがあったのだろうと思っています。簡単に言えば悟りでしょうか。悟りが武道にどう影響するのか?それがこの世の不思議かなと思っています。瞑想よ気などに走る者には到達できない世界でしょう。
国家に数ある武術の中から取り立てられながらも和合という道に進んでいった過程には、そのようなことがあったのであろうと考えています。ただ、考えていても私のような凡人には分かりませんから、一つ一つの稽古をこなしていく行くだけです。ブログの更新、なかなか出来ていなくて申し訳ありません。沖縄空手の神髄、いつか教えて頂ける日が来ると嬉しいです。
沖縄には本当のサイを手に入れることが出来る所がありますでしょうか?近頃の際は演武用と称して翼の左右部分を溶接で後付けした物が多いです。古流式では翼の部分は左右一対であり、その中心に穴が開いていて本体に通したのちに溶接する手法手あったはずです。もしご存じであれば情報を教えてください。今後ともよろしくお願い致します。
Posted by 管理人 at 2017年05月04日 19:37
管理人様、おっしゃる通り私は「姫路の高齢者」として何回かコメントさせていただいておりました。
あの頃孫の空手道場探ししていたのですが、自分が沖縄の空手に取りつかれてしまいました。同じく琉球舞踊の空手の舞いの奥深さに魅了されてしまい、とうとう沖縄に住むことになってしまいました。
合気道は、昔の茨城道場「斎藤守弘さんの御子息」が合気会におられた頃に合宿に参加したのが懐かしいです。
早朝、愛宕山までのランニングの過酷さは、今でも忘れられません。31の組杖では下段払いを息子さんのスネに当ててしまい冷や汗が出ました。
素振りがビュンビュン音がして避け損なうと大怪我しそうで緊張の連続でした。
こうやって沖縄の空手古武道の道場で稽古していると、昔の合気道(40年位前)道場の烈迫の気合い稽古がよみがえってきます。
サイ術は単独型の稽古と六尺棒との攻防稽古があります。受けと払い、サイの先端を持って棒手裏剣のように投げる場合もあります。沖縄の古武道で使うサイは永年使い込まれていて錆で黒びかりしたのが多いです。有名な武道具店「守礼堂」は沢山陳列していたようでした。
亀の甲の楯を使ったり、船を漕ぐカイを使う武器術も稽古します。
那覇手、首里手、泊手にはそれぞれ古武道と合わせて昔から稽古されてきた歴史があるようです。17世紀の薩摩進攻後は示現流剣術をも取り入れていると言う人もいます。
小さな島が生き残るには「受け入れる」心が大事だった。沖縄の空手の原点もそこにあると道場の先生は言われます。
昔の合気道道場も高名な八段の先生の指導は緊張の中にも包み込むような優しさがありました。
「技として使えるかどうかを自分で考えてください」とも言われていたように記憶しています。
本ブログも時間を置いて読み返してみて、成る程と気ずかされる事が多いです。
私の稽古の指標のひとつとして、とても参考になります。
あの頃孫の空手道場探ししていたのですが、自分が沖縄の空手に取りつかれてしまいました。同じく琉球舞踊の空手の舞いの奥深さに魅了されてしまい、とうとう沖縄に住むことになってしまいました。
合気道は、昔の茨城道場「斎藤守弘さんの御子息」が合気会におられた頃に合宿に参加したのが懐かしいです。
早朝、愛宕山までのランニングの過酷さは、今でも忘れられません。31の組杖では下段払いを息子さんのスネに当ててしまい冷や汗が出ました。
素振りがビュンビュン音がして避け損なうと大怪我しそうで緊張の連続でした。
こうやって沖縄の空手古武道の道場で稽古していると、昔の合気道(40年位前)道場の烈迫の気合い稽古がよみがえってきます。
サイ術は単独型の稽古と六尺棒との攻防稽古があります。受けと払い、サイの先端を持って棒手裏剣のように投げる場合もあります。沖縄の古武道で使うサイは永年使い込まれていて錆で黒びかりしたのが多いです。有名な武道具店「守礼堂」は沢山陳列していたようでした。
亀の甲の楯を使ったり、船を漕ぐカイを使う武器術も稽古します。
那覇手、首里手、泊手にはそれぞれ古武道と合わせて昔から稽古されてきた歴史があるようです。17世紀の薩摩進攻後は示現流剣術をも取り入れていると言う人もいます。
小さな島が生き残るには「受け入れる」心が大事だった。沖縄の空手の原点もそこにあると道場の先生は言われます。
昔の合気道道場も高名な八段の先生の指導は緊張の中にも包み込むような優しさがありました。
「技として使えるかどうかを自分で考えてください」とも言われていたように記憶しています。
本ブログも時間を置いて読み返してみて、成る程と気ずかされる事が多いです。
私の稽古の指標のひとつとして、とても参考になります。
Posted by 那覇市の高齢者 at 2017年05月05日 00:25
沖縄の高齢者 様
やはりそうでしたか。ご無沙汰しております。いつもブログを閲覧、御意見を頂きありがとうございます。好きなものを追いかけて沖縄移住とは驚きと羨ましさでいっぱいです!
昔の岩間のお話はとても楽しく読ませて頂いております。現在の合気道の緊張感の無さからしてお恥ずかしい限りです。太刀や仗においても指導は少なくほぼ自己流。質が悪くなるのも分かります。ただ、良いお手本を他の武道であっても見つけて考えつつ振っていると、どうしてそんな型や体裁きになったのか、何となく推測は出来るようになります。沖縄は良いですね!武道環境は最高のようです(笑)
サイは持って両手を広げると杖のようなリーチとなり、手を握ろうにも翼で刺される。とても面白い武器だと思います。「守礼堂」さんのHPからも古式のサイの掲示が消えておりまして、本場の方はどこで入手されているのかなと思っていたものですから・・・。
生活に深く根差した沖縄の空手にはとても魅了されます。合気道においても参考となることが非常に多いです。「技として使えるかどうかを自分で考えてください」ですか、確かに今時の方にもそうして欲しいものです。審査においても無理な技が多いです。相手に倒れてもらわざるを得ないようなことをする。武道はシンプルで良いと思うのですが・・・。
同じ技でも初段と弐段では明らかに仕上がりが異なる。そういった進化をして欲しいと思っています。上段者になるほど変わったことをしようとする雰囲気があります。一方、基本技は以前と同じままといったような。自信を含め、身を引き締めて行かなければと感じております。今後ともよろしくお願い致します。
やはりそうでしたか。ご無沙汰しております。いつもブログを閲覧、御意見を頂きありがとうございます。好きなものを追いかけて沖縄移住とは驚きと羨ましさでいっぱいです!
昔の岩間のお話はとても楽しく読ませて頂いております。現在の合気道の緊張感の無さからしてお恥ずかしい限りです。太刀や仗においても指導は少なくほぼ自己流。質が悪くなるのも分かります。ただ、良いお手本を他の武道であっても見つけて考えつつ振っていると、どうしてそんな型や体裁きになったのか、何となく推測は出来るようになります。沖縄は良いですね!武道環境は最高のようです(笑)
サイは持って両手を広げると杖のようなリーチとなり、手を握ろうにも翼で刺される。とても面白い武器だと思います。「守礼堂」さんのHPからも古式のサイの掲示が消えておりまして、本場の方はどこで入手されているのかなと思っていたものですから・・・。
生活に深く根差した沖縄の空手にはとても魅了されます。合気道においても参考となることが非常に多いです。「技として使えるかどうかを自分で考えてください」ですか、確かに今時の方にもそうして欲しいものです。審査においても無理な技が多いです。相手に倒れてもらわざるを得ないようなことをする。武道はシンプルで良いと思うのですが・・・。
同じ技でも初段と弐段では明らかに仕上がりが異なる。そういった進化をして欲しいと思っています。上段者になるほど変わったことをしようとする雰囲気があります。一方、基本技は以前と同じままといったような。自信を含め、身を引き締めて行かなければと感じております。今後ともよろしくお願い致します。
Posted by 兵庫合気会 加古川道場
at 2017年05月05日 15:41
