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2012年12月04日
『入り身投げ』-Ⅱ
先日の記事で、『正面打ち入り身投げ』について考察しました。
その時点での『入り身投げ』の基本は“表”ではないかと書きました。
後日、コメントをいただいて更に考えていたのですが、
やはり基本は“表”なのではないかな?と思えるのです。
基本系としては“回らない”。“自分が入る”ことが原則なのだろうと。
その昔、開祖が言われたという言葉に下記のようなものがあるとか。
「我より動いて 相手を導け」
自分から入っていく
そして導いた結果、回すことも有りうるということではないのか。
通常の稽古では、稽古ですから回っていてくれますが、本当なら回されてしまったら、
その勢いに乗じて抱き付くのではないでしょうか?
事実、回した後、最後の処理が非常に難しいですよね。
“裏”は高等技術ですよ・・・。
斉藤守弘師範の生前の言葉の中に、次のようなものがあります。
「入り身投げも、四方投げと同じように、
四方八方に投げることが出来ないといけない。
それが出来ないのであれば、回すことは止めておいた方がいい。
合気道は常に多人数が居ることを想定している。
任意の方向へ投げられないまま相手を回していると、他の者にやられてしまう。」
つまり、回すのは自らの望む方向へ投げるために他なりません。
このように見ていくと、やはり最初は“表”で基本を学び、
その後に任意の場所に自在に投げられるように稽古するのが良いのかもしれません。
植芝盛平
「顎の下に内肘が入り、首を押し下げるように投げろ。
そのとき腕は“鉄の環の如く”。」
合気道の真髄は、もっと他にあるとは感じているのですが、
「あぁでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら仲間と過ごすその空間がまた楽しいのです
分かるかなぁ~、分かんねぇだろうなぁ~(※懐かしッ!)
その時点での『入り身投げ』の基本は“表”ではないかと書きました。
後日、コメントをいただいて更に考えていたのですが、
やはり基本は“表”なのではないかな?と思えるのです。
基本系としては“回らない”。“自分が入る”ことが原則なのだろうと。
その昔、開祖が言われたという言葉に下記のようなものがあるとか。
「我より動いて 相手を導け」
自分から入っていく

通常の稽古では、稽古ですから回っていてくれますが、本当なら回されてしまったら、
その勢いに乗じて抱き付くのではないでしょうか?
事実、回した後、最後の処理が非常に難しいですよね。
“裏”は高等技術ですよ・・・。
斉藤守弘師範の生前の言葉の中に、次のようなものがあります。
「入り身投げも、四方投げと同じように、
四方八方に投げることが出来ないといけない。
それが出来ないのであれば、回すことは止めておいた方がいい。
合気道は常に多人数が居ることを想定している。
任意の方向へ投げられないまま相手を回していると、他の者にやられてしまう。」
つまり、回すのは自らの望む方向へ投げるために他なりません。
このように見ていくと、やはり最初は“表”で基本を学び、
その後に任意の場所に自在に投げられるように稽古するのが良いのかもしれません。
植芝盛平
「顎の下に内肘が入り、首を押し下げるように投げろ。
そのとき腕は“鉄の環の如く”。」
合気道の真髄は、もっと他にあるとは感じているのですが、
「あぁでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら仲間と過ごすその空間がまた楽しいのです

分かるかなぁ~、分かんねぇだろうなぁ~(※懐かしッ!)
Posted by 道場生 at
21:08
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