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2012年12月27日
足りないもの
昔の合気道は、今でいう総合格闘技から寝技を除いたようなものでした。
顔を含む全身への当て身、必要ならば関節技も用いるスタイル。
他の武道で鍛錬してきた猛者たちが認める強さでした。
私達は日々の稽古の中で、何を求めているでしょう
「技をもっと上手にかけたい」 → これは広い意味で体の使い方を学ぶことですね
「黒帯を取って袴を履きたい」 → 頑張っていればいつか必ず取れます
「合気なるものを習得したい」 → 合気という名を冠する武道を学ぶ者の大体は、
そんなことを思い描くことがあるでしょう
ふと、私に最近少し欠けていたもの、それは「強くなること」かも知れないと思いました。
武道を学んでいるのに今更な発言ですが、体の使い方を含め、
個々の技の研究や練磨はとても大切です。
しかし、武道を学ぶ以上、精神論的な部分は別として、やはり強いことが前提です。
つまり、武道という世界においては当たり前である「強さの追求」をせず、
「理想の追求」にやや傾いていなかったか
と思う訳です。
十分に強くなってから「理想の追求」をする。これが正しいはず。
合気道には、打撃(当身)も型の中には組み込まれてはいますが、
腰を入れない打撃方法では相手にたいしたダメージを与えることはできないでしょう。
ところが、「実戦における合気道は、当身が 七分、投げが三分。」と言われます。
やはり、合気道なりの打撃の稽古も必要ということです
通常の稽古では、普通なら殴っているところを、こっちの技が効くまで待っていてくれます。
当然、実際の戦いではもちろんやられています。
では、どのようにすれば合気道で強くなれるのか
やはり当身を研究すること、せめて意識することでしょう。
また、一般論として「合気道に力は要らない」といわれますが、開祖は怪力で有名な人です。
米俵に槍をさし、頭上に持ち上げ、
背中越しに停めたトラックの荷台に放り入れることができた人です
もちろん筋力だけで成せる業ではありませんが、筋力があっても邪魔になるものではありません。
膝行や座り技で足腰を鍛えることは、とても大切ですね。
相手の受けを連続してとることも、投げられ→立ち上がりの繰り返しですから、
足腰の鍛錬になります。
相手の指が回らない程、太い腕になってもいいでしょう。それも利点となります。
そして、最も研究すべきは「間合い」なのでしょう。
「後の先」によるタイミングと当身
これに体の使い方が加われば、合気道は以前の強さを取り戻すはず。
ただし、それが開祖の目指した最終的な姿かというと少し違うと思えます。
植芝盛平という人間は、よく言われるような宗教じみたお爺さんでは決してありません。
私的な見解ですが、“武道により霊的境地を得た稀な人”だと感じています。
そろそろ大人の方もお正月休みに入られる頃ですね。
私も、足らざるピースを探しながら、新しい年を過ごせればと思っています。
※お休み期間に際して
稽古をする環境が不十分であるときには、各自の工夫とモチベーションが重要となります。
合気道は一生修業ですから、級や段位を早く取得することだけが重要な訳ではなく、
取り組む姿勢が大切だと思います。
自分のペースで断念せず、進んでいければ良いですね
顔を含む全身への当て身、必要ならば関節技も用いるスタイル。
他の武道で鍛錬してきた猛者たちが認める強さでした。
私達は日々の稽古の中で、何を求めているでしょう

「技をもっと上手にかけたい」 → これは広い意味で体の使い方を学ぶことですね
「黒帯を取って袴を履きたい」 → 頑張っていればいつか必ず取れます
「合気なるものを習得したい」 → 合気という名を冠する武道を学ぶ者の大体は、
そんなことを思い描くことがあるでしょう
ふと、私に最近少し欠けていたもの、それは「強くなること」かも知れないと思いました。
武道を学んでいるのに今更な発言ですが、体の使い方を含め、
個々の技の研究や練磨はとても大切です。
しかし、武道を学ぶ以上、精神論的な部分は別として、やはり強いことが前提です。
つまり、武道という世界においては当たり前である「強さの追求」をせず、
「理想の追求」にやや傾いていなかったか

十分に強くなってから「理想の追求」をする。これが正しいはず。
合気道には、打撃(当身)も型の中には組み込まれてはいますが、
腰を入れない打撃方法では相手にたいしたダメージを与えることはできないでしょう。
ところが、「実戦における合気道は、当身が 七分、投げが三分。」と言われます。
やはり、合気道なりの打撃の稽古も必要ということです

通常の稽古では、普通なら殴っているところを、こっちの技が効くまで待っていてくれます。
当然、実際の戦いではもちろんやられています。
では、どのようにすれば合気道で強くなれるのか

やはり当身を研究すること、せめて意識することでしょう。
また、一般論として「合気道に力は要らない」といわれますが、開祖は怪力で有名な人です。
米俵に槍をさし、頭上に持ち上げ、
背中越しに停めたトラックの荷台に放り入れることができた人です

もちろん筋力だけで成せる業ではありませんが、筋力があっても邪魔になるものではありません。
膝行や座り技で足腰を鍛えることは、とても大切ですね。
相手の受けを連続してとることも、投げられ→立ち上がりの繰り返しですから、
足腰の鍛錬になります。
相手の指が回らない程、太い腕になってもいいでしょう。それも利点となります。
そして、最も研究すべきは「間合い」なのでしょう。
「後の先」によるタイミングと当身

これに体の使い方が加われば、合気道は以前の強さを取り戻すはず。
ただし、それが開祖の目指した最終的な姿かというと少し違うと思えます。
植芝盛平という人間は、よく言われるような宗教じみたお爺さんでは決してありません。
私的な見解ですが、“武道により霊的境地を得た稀な人”だと感じています。
そろそろ大人の方もお正月休みに入られる頃ですね。
私も、足らざるピースを探しながら、新しい年を過ごせればと思っています。
※お休み期間に際して
稽古をする環境が不十分であるときには、各自の工夫とモチベーションが重要となります。
合気道は一生修業ですから、級や段位を早く取得することだけが重要な訳ではなく、
取り組む姿勢が大切だと思います。
自分のペースで断念せず、進んでいければ良いですね

Posted by 道場生 at
16:24
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