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2012年04月24日
開祖の遺言
今回は、開祖が残した遺言ともいうべき名言をご紹介したいと思います。
私が、合気道修業者に望むことは、
この世界の有様を、始終良く眺めて、
人の話を良く聴き、良き処を取り入れ、
それを土台にして、自分の門を開くこと。
植芝盛平
『自分の門を開く』
これは外に向かうイメージを持った場合、合気道のみならず、自分の可能性の扉を開いてゆく、
そんなふうにも理解できます。
では、内に向かうイメージを持った場合はどうでしょう
自らの門を開けてその内側に目を向ける。 自己を見つめ直すことでしょうか
私的には、少し違った印象を受けます。自身の深奥を見るとでもいいましょうか。
開祖の信仰されていた神道系の思想などから推し測ると、
自分は何者か
何処から来て、何処へゆくのか
簡単に表現すれば、こんな感じがします。
このような世界観まで含まれるが故に、合気道は単なる「武術」ではなく、
「武道」とされるのでしょう。
正解はなんでしょうねぇ
開祖は道標も残してくれています。
無駄に見過ごさないよう、しなければいけない。
山川草木、ひとつとして師とならないものはない。
植芝盛平
青空の下
桜
の花を愛でながら空想してみるのも面白いかもしれません
私が、合気道修業者に望むことは、
この世界の有様を、始終良く眺めて、
人の話を良く聴き、良き処を取り入れ、
それを土台にして、自分の門を開くこと。
植芝盛平
『自分の門を開く』
これは外に向かうイメージを持った場合、合気道のみならず、自分の可能性の扉を開いてゆく、
そんなふうにも理解できます。
では、内に向かうイメージを持った場合はどうでしょう

自らの門を開けてその内側に目を向ける。 自己を見つめ直すことでしょうか

私的には、少し違った印象を受けます。自身の深奥を見るとでもいいましょうか。
開祖の信仰されていた神道系の思想などから推し測ると、
自分は何者か


簡単に表現すれば、こんな感じがします。
このような世界観まで含まれるが故に、合気道は単なる「武術」ではなく、
「武道」とされるのでしょう。
正解はなんでしょうねぇ

開祖は道標も残してくれています。
無駄に見過ごさないよう、しなければいけない。
山川草木、ひとつとして師とならないものはない。
植芝盛平
青空の下




Posted by 道場生 at
14:47
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