別府中学校 武道場
稽古日 稽古時間 対象
水曜日 19:00 ~ 19:50 年少部・一般部
20:00 ~ 21:00 一般部
土曜日 19:00 ~ 19:50 年少部・一般部
20:00 ~ 21:00 一般部


2012年11月30日

誤解

開祖の身長は、とても小柄であったことで知られています。
加えて、晩年の技は非常に軽やかであったことから、
“ふわぁ~”と舞うような動きや印象が相俟って、

「あれは受けが自分から転んでいるだけだ」

という非難が生まれました。

私自身も開祖の技を受けたことが無いので、断定的なことは言えませんが、
直弟子であった方々の言葉を拾い集めてみました。

 ・「開祖の体は鍛え抜かれているからね。ちゃんと受けないと叩きつけられる。」
 ・「普通の人に投げられるのとは違い、畳にめり込むような感じだった。」
 ・「腕が凄く太くて、手が周らないから触れているだけのような感じ。」
 ・「剣なんか持って、半身で構えられて『打って来い!』と云われても、動けないよ。」


現在とは異なり、直弟子の方々の時代の稽古方法は、
現在のように体系化されていたわけではありませんでしたが、
とても厳しい内容であったといいます。
武道の道でそれなりの経験を積んだ猛者たちがフラフラになるのですから。

そんな稽古を続けてきた人たちが、前述したような言葉を残しているわけです。
このことから想像しても、とんでもない人(※良い意味で)だったことが伺えます。
単なる脱力でもない“畳にめり込むような”重圧、
太くて握ることが出来ず触れているだけなのに崩される技。

私達は開祖が技を繰り出すに際して、一体何をしていたのか?
もっと良く知らなければいけないようです。

最後に、縁あって大本(※開祖が信仰していた大本教の意味。正式には大本と呼ぶ)を訪ねた際、
高齢な信者さんからたまたま聞いた、綾部時代の開祖のお話をご紹介しておきたいと思います。

老人
 「私が小さな頃、この綾部に植芝さんの道場がありましてね。
  背伸びをして窓から良く覗いたものです。
  小柄な人なんですよ植芝さんは。
  ところが、がっしりとした巨体の大人がね、
  ポンポン飛ばされるように宙を舞って投げられるものだから。
  子供の私には不思議だったけど、それが面白かったんですよ。」
  


Posted by 道場生 at 14:10Comments(0)

2012年11月29日

『表』か『裏』か

今回は、初めて『技』について考えてみたいと思います。
お題は、『正面打ち入り身投げ』
数ある合気道の『技』の中で、異色な『技』と言えるかもしれません。

昔、門下生が嘆いた言葉に対し、開祖が答えられたお話が残っています。

 門下生 私はすでに6ヶ月間先生について教えを頂いていますが、
       いまだ極意の技を教えて頂けない。
 開  祖 君は何を言っているのか。
       日々極意の技をやっているではないか。
       今日教えた『入身投げ』などは、極意中の極意。
       奇想天外な極意などというものは、武道においてはあり得ない。


その他、生前のいくつかのお話から察しても、
『片手取り四方投げ』、『正面打ち第一教』、『正面打ち入身投げ』などは、
特に極意の稽古をしていると強調されているように思えます。

その『正面打ち入り身投げ』ですが、
一般的には相手を大きく回し崩して投げる方法が思い浮かぶと思います。
いわゆる“裏”と呼ばれているものですね。
特に外人の方の演武でよく見かけるこの方式の『入り身投げ』はダイナミックです。
私的には少々異様に見えますが・・・ガーン

まず、受けを前のめりに畳に叩きつけるようにして崩し、
叩きつけられながらも起きあがってきたところを正面から仰け反らせて倒す。
入門当初はなんとも思いませんでしたが、何度やっても難しい。
そのうちに、面倒で不自然な動きに思えてきました。
一度、引っ張り込んでおいて、また返すのですから・・・。

何故こんなスタイルになっただろう? 
そんなことを思いながら調べていると、とあるエピソードが。

その昔、開祖が技をかける際、受けが未熟でついて来れず、
腰が残った前のめりの状態になったことがあったのだそうです。
見た目が派手であったため、これを皆が真似し始めたとか。

取りの動きに付いていけず、受けの腰が後方に残った状態であったとすれば、
『入り身投げ』をするまでもなく、そのまま畳に叩きつける方が自然です。
叩きつけられそうになって、慌てて起きあがって来たものだから『入り身投げ』を放った、
というのが正しいのかも知れません。

実際、入り身を行うとしても何らかの武道なりを習っている方であれば、
そうそう背後を取らせる事はないでしょう。

「合気道は剣の動き」と言われますので、一般的な発想のもとに想像してみましょう。
例えば、唐竹で剣を振り下ろした場合、仮にかわされて相手がサイドに回り込んで来たら、
横薙ぎに払うなどの動きがあるはずです。
素手で同様の動きをした場合、
側面に入って来たら背後を取られないように肘打ちなどで反撃しようとするはずです。
また、本当なら正面を外されたからといって、そのまま前のめりになどなってはくれないバス。

『入り身投げ』の本来の姿は、「当て身、七割」と言われるように、
紙一重でかわした刹那、
重心移動とタイミングを最大限に活かした当て身で終わらせるのだと思います。

だとしたら、稽古の範囲で考えた場合、当て身を意識しつつ、
せめて反撃が届かない場所に居ながら相手の弱い方向に崩しつつ投げたいものです。
反撃が届かない場所は、相手の背面または背面寄りの側面となるでしょう。
そこから相手が弱い方向へ崩す。基本的には密着していないと崩せないでしょう。

これらのことから導き出される本来の『入り身投げ』の本来のかたちは、“表”
そんな気がしている今日この頃です。
  


Posted by 道場生 at 15:58Comments(1)

2012年11月24日

固い稽古

当道場では、大人は特に「当て身」を入れるよう指導されます。
無論、古来の大東流におけるような怪我をしそうな本格的なものではありませんが、
実用性に配慮したものです。ついつい忘れてしまいますが・・・ガーン

特に「当て身」を重視している「岩間スタイル」においては、
合気道の技は形を変えれば当て身技になると言われ、
すべての技に3つ以上の「当て身」が存在すると聞きます。

私は稽古の際、比較的しっかりと握る・打つ・掴むという行為をしています。
多少は緩めるものの、少年少女にも同じ対応ですワーイ
正直に言って、実戦において腕を握るという行為は数少ないとは思います。
しかし、どんな行為をしてくるにしても、やさしくして来ることは皆無でしょう。
思いっきり掴む、殴る(突く)、蹴るでしょうから、
せめて握られた状態ぐらいからは逃げることが出来なければいけません。

そうした体の動かし方、
「ここが動かなくてもこっちは動く」といった事を学んでおく必要があると思う訳です。
それらに連動して「当て身」を入れる。これが基本のように思えます。

このような稽古を「固い稽古」と呼ぶのでしょうが、この稽古方法の場合、
基本が身についていない人は力ずくで動かざるを得ませんので、
比較的誰にでも分かり易いのではないかと思います。

養神館もどちらかと言えば「固い稽古」ですし、足の位置、角度等、細やかに指導されるようです。実戦性を問うと必然的に「固い稽古」になっていくのかも知れません。

一見して力技の稽古に見えて、実は力技から逃れる身体の動きを学んでいる。
その後に、流れるような動きを学ぶ。岩間では、「流れの稽古は三段から」と言われます。
そのように考えれば、私も、まだまだ「固い稽古」をしていて良さそうですスマイル

そんなことを考えていると、開祖の生前の言葉を発見しました!

「わしは60年、固い稽古をして今がある。貴様らに何が出来るか。」

これは、安易に流れの稽古をすることを誡められたものだと思っています。   


Posted by 道場生 at 13:36Comments(2)