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2012年11月30日
誤解
開祖の身長は、とても小柄であったことで知られています。
加えて、晩年の技は非常に軽やかであったことから、
“ふわぁ~”と舞うような動きや印象が相俟って、
「あれは受けが自分から転んでいるだけだ」
という非難が生まれました。
私自身も開祖の技を受けたことが無いので、断定的なことは言えませんが、
直弟子であった方々の言葉を拾い集めてみました。
・「開祖の体は鍛え抜かれているからね。ちゃんと受けないと叩きつけられる。」
・「普通の人に投げられるのとは違い、畳にめり込むような感じだった。」
・「腕が凄く太くて、手が周らないから触れているだけのような感じ。」
・「剣なんか持って、半身で構えられて『打って来い!』と云われても、動けないよ。」
現在とは異なり、直弟子の方々の時代の稽古方法は、
現在のように体系化されていたわけではありませんでしたが、
とても厳しい内容であったといいます。
武道の道でそれなりの経験を積んだ猛者たちがフラフラになるのですから。
そんな稽古を続けてきた人たちが、前述したような言葉を残しているわけです。
このことから想像しても、とんでもない人(※良い意味で)だったことが伺えます。
単なる脱力でもない“畳にめり込むような”重圧、
太くて握ることが出来ず触れているだけなのに崩される技。
私達は開祖が技を繰り出すに際して、一体何をしていたのか?
もっと良く知らなければいけないようです。
最後に、縁あって大本(※開祖が信仰していた大本教の意味。正式には大本と呼ぶ)を訪ねた際、
高齢な信者さんからたまたま聞いた、綾部時代の開祖のお話をご紹介しておきたいと思います。
老人
「私が小さな頃、この綾部に植芝さんの道場がありましてね。
背伸びをして窓から良く覗いたものです。
小柄な人なんですよ植芝さんは。
ところが、がっしりとした巨体の大人がね、
ポンポン飛ばされるように宙を舞って投げられるものだから。
子供の私には不思議だったけど、それが面白かったんですよ。」
加えて、晩年の技は非常に軽やかであったことから、
“ふわぁ~”と舞うような動きや印象が相俟って、
「あれは受けが自分から転んでいるだけだ」
という非難が生まれました。
私自身も開祖の技を受けたことが無いので、断定的なことは言えませんが、
直弟子であった方々の言葉を拾い集めてみました。
・「開祖の体は鍛え抜かれているからね。ちゃんと受けないと叩きつけられる。」
・「普通の人に投げられるのとは違い、畳にめり込むような感じだった。」
・「腕が凄く太くて、手が周らないから触れているだけのような感じ。」
・「剣なんか持って、半身で構えられて『打って来い!』と云われても、動けないよ。」
現在とは異なり、直弟子の方々の時代の稽古方法は、
現在のように体系化されていたわけではありませんでしたが、
とても厳しい内容であったといいます。
武道の道でそれなりの経験を積んだ猛者たちがフラフラになるのですから。
そんな稽古を続けてきた人たちが、前述したような言葉を残しているわけです。
このことから想像しても、とんでもない人(※良い意味で)だったことが伺えます。
単なる脱力でもない“畳にめり込むような”重圧、
太くて握ることが出来ず触れているだけなのに崩される技。
私達は開祖が技を繰り出すに際して、一体何をしていたのか?
もっと良く知らなければいけないようです。
最後に、縁あって大本(※開祖が信仰していた大本教の意味。正式には大本と呼ぶ)を訪ねた際、
高齢な信者さんからたまたま聞いた、綾部時代の開祖のお話をご紹介しておきたいと思います。
老人
「私が小さな頃、この綾部に植芝さんの道場がありましてね。
背伸びをして窓から良く覗いたものです。
小柄な人なんですよ植芝さんは。
ところが、がっしりとした巨体の大人がね、
ポンポン飛ばされるように宙を舞って投げられるものだから。
子供の私には不思議だったけど、それが面白かったんですよ。」
Posted by 道場生 at 14:10│Comments(0)